福岡高等裁判所 昭和61年(ネ)757号 判決 1990年6月29日
主文
一 本件控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。
1 控訴人(附帯被控訴人)は、被控訴人(附帯控訴人)兵道有に対し金三二一二万七七四五円及びこれに対する昭和五三年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被控訴人(附帯控訴人)兵道有のその余の請求並びに被控訴人(附帯控訴人)兵道保男及び同兵道光子の各請求をいずれも棄却する。
二 被控訴人(附帯控訴人)らの本件附帯控訴を棄却する。
三 訴訟費用は、附帯控訴費用を含め、被控訴人(附帯控訴人)兵道有と控訴人(附帯被控訴人)との間に生じた分は第一、二審を通じてこれを一〇分し、その六を同被控訴人(附帯控訴人)の、その余を控訴人(附帯被控訴人)の負担とし、被控訴人(附帯控訴人)兵道保男及び同兵道光子と控訴人(附帯被控訴人)との間に生じた分は第一、二審を通じてすべて同被控訴人(附帯控訴人)らの負担とする。
事実
一 控訴人(附帯被控訴人)学校法人久留米大学(以下「控訴人」という。)は、「原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。被控訴人(附帯控訴人)兵道有、同兵道保男及び同兵道光子(以下、被控訴人(附帯控訴人)三名を総称して「被控訴人ら」といい、個別には「被控訴人有」、「被控訴人保男」、「被控訴人光子」という。)の請求を棄却する。本件附帯控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決及び附帯控訴認容の場合につき仮執行免脱宣言を求め、被控訴人らは、「本件控訴を棄却する。(附帯控訴として)原判決を次のとおり変更する。控訴人は、被控訴人有に対し一億〇七〇六万円、被控訴人保男、同光子に対し各五五〇万円及び右各金員に対する昭和五三年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決及び附帯控訴認容部分につき仮執行の宣言を求めた。
二 当事者双方の主張及び証拠の関係は、左記のとおり付加するほか、原判決事実摘示(但し、原判決四枚目裏一〇行目から同一一行目にかけての「アミノ配糖系抗生物質」を「アミノ配糖体系抗生物質」と、同六枚目裏七行目の「著名となり」を「著明となり」 と、同七枚目表七行目から同八行目にかけての「パラマイシン軟膏」を「バラマイシン軟膏」と、それぞれ改める。)及び当審記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
(控訴人の主張の補充)
1 本件薬剤(バラマイシン軟膏、コリマイフォーム、ポリミキシンBを一括して「本件薬剤」という。)の外用塗布投与による副作用(難聴)発生の予見可能性について
(一) 本件当時(昭和五三年二月から同七月まで)、熱傷治療に当たる一般の医師は、本件薬剤の能書に難聴の副作用の記載があること(但し、その能書の記載は、昭和五二年七月ないし昭和五三年二月ころから始まったにすぎない。)は知っていたが、これを熱傷に対して外用塗布投与する場合にも難聴が発生するとの認識はなかった。
すなわち、本件薬剤の投与は、全身投与(注射、経口投与等)ではなく、外用剤として軟膏に混和して皮膚に塗布し又は散布して投与するものであって、皮膚からアミノ配糖体系抗生物質が吸収されるのは、全身投与の場合の一〇分の一ぐらいである。アミノ配糖体系抗生物質の熱傷に対する外用塗布投与による難聴の発生については、我が国では昭和五七年の症例が昭和五九年及び昭和六〇年に学会で発表されたのが初めてである。原審鑑定証人井上勝平の証言によっても、本件薬剤の外用塗布投与による副作用の発生については、これを予見していなかったことが窺える。
したがって、本件当時、被控訴人有(以下「本件患者」ともいう。)の主治医であった控訴人病院の勤務医永田正和及び古賀英昭医師(以下「本件担当医師」という。)が本件患者に対する重症熱傷の治療を行うに当たり、本件薬剤を外用塗布投与することによって、本件患者に難聴等の副作用が発生すると予見することは、到底不可能であった。
(二) 本件担当医師に右の予見が不可能である以上、同医師らに対して、本件患者の難聴の発生を未然に防止するため、聴力検査を事前に及び定期的に実施したり、その発現の徴候を自ら注意し、更に本件患者、付添人及び看護婦らに気をつけるよう予め指示したりする等の注意義務を課すことはできない。
2 緑膿菌対策としての本件薬剤に代わる有効な薬品の入手可能性について
(一) 控訴人は、本件当時、緑膿菌対策の有効な薬剤として、サルファマイロンクリーム、シルバーサルファダイヤジンクリーム等に関する情報を収集したり、右薬剤自体を入手できる立場にはなかった。
サルファマイロンクリーム、シルバーサルファダイヤジンクリームは、昭和四五、六年ころから治験薬として研究の対象になっていたが、控訴人病院では使用していなかったし、特に私立大学病院の場合、一部研究用として使用されるほか、一般の患者に対して治験薬を治療に使用することは医療保険の適用がないため困難な状況であった。サルファマイロンクリーム、シルバーサルファダイヤジンクリームが厚生省で医薬品として登録されたのは昭和五六、七年ころであり、本件当時に控訴人病院でこれを使用しなかったからといって、本件担当医師に過失があったとはいえない。治験薬は研究途上の医薬品であり、外部に発表されることも少なく、医療一般に使用されるものでもなく、医療水準に達した医薬品とはいえない。
(二) 名古屋大学(<証拠>)、九州大学(<証拠>)、東京大学(<証拠>)などでも、サルファマイロンクリーム、シルバーサルファダイヤジンクリーム等を使用しておらず、これを使用する大学や病院も製薬会社と共同して治験薬として実験的に使用していたにすぎない。原審鑑定証人井上勝平の証言によっても、サルファマイロンクリーム、シルバーサルファダイヤジンクリームは昭和五二年四月から同五七年ころまで治験薬として研究使用されていたにすぎず、本件当時一般治療に使用されていたわけではない。
3 本件における一般医療水準について
(一) 本件患者は、本件当時、満一〇才の小児であり、全身の約七六パーセントに概ね三度の熱傷を負い、死亡率が一〇〇パーセントに近い状態であった。第一次死亡原因であるショックは切り抜けたが、腎機能等は危険状態であり、緑膿菌が熱傷部全般に及んでいたものである。かかる患者を治療する場合、本件担当医師としては、何はともあれ、緑膿菌対策の治療をする必要があった。これを怠れば患者は敗血症等により死亡するのであり、緑膿菌対策こそ当時の医療水準であった。
(二) 緑膿菌対策としては、本件当時、アミノ配糖体系抗生物質による外用塗布投与が一般的であったのであり、しかも、その外用塗布投与による難聴の発生については、前記のとおり、本件当時、全く認識がなく、これが議論されるようになったのは、昭和五九年以降にすぎない。
4 難聴発現後の処置
本件担当医師らが本件患者の難聴を発見したのは、昭和五三年七月一八日に実施した全身麻酔による第四回目の皮膚移植手術(植皮術)の翌日である。本件担当医師は、直ちにアミノ配糖体系抗生物質の外用塗布投与を中止したわけではないが、これは、本件患者が小児であり、全身麻酔による植皮術直後で緑膿菌感染症対策として右投与を続行しなければならなかったからである。本件担当医師は、本件患者の移植皮膚の定着を確認し、移動、検査に対する体力的及び症状的対応が可能と判断した昭和五三年八月一八日の段階で、耳鼻科による聴力の精密検査を実施したうえ、本件薬剤の外用塗布投与を中止したのである。
(被控訴人らの主張の補充)
1 難聴発生の予見可能性について
本件担当医師は、本件当時、アミノ配糖体系抗生物質に難聴の副作用があることを一般的知識として知りながら、その外用塗布投与による難聴の発生の症例報告がなかったことから、本件患者にその外用塗布投与をするに当たって、右難聴の危険性について何らの思いを致さなかった。
しかし、薬剤の投与について最も信頼できる資料は、製薬会社の作成した能書であり、能書こそ薬理学上の知見、様々な動物実験の成果、世界的規模での副作用情報等を踏まえた記載がされているのであるから、医師は薬剤を使用するに当たって、能書の記載を遵守すべきは当然であり、患者には医師がその注意義務を遵守すべきことを求める診療契約上の権利がある。能書に記載された使用方法を誤って副作用による重篤な障害をつくり出しておきながら、「症例報告がないこと」を理由に医師の免責を認めることはできない。
本件担当医師は、本件患者に対し、アミノ配糖体系抗生物質である本件薬剤を大量かつ長期にわたって投与しながら、能書に記載されている難聴発生の可能性について全く認識しておらず、医師の予見義務に違反していることは明らかである。
2 難聴の結果回避義務について
本件担当医師は、前項の予見義務を尽くさなかったため、本件患者の聴力について、経過観察や中間検査を怠り、両親にも観察の指示をしなかったほか、聴力障害発現後、直ちに聴力検査を実施せず、アミノ配糖体系抗生物質の投与中止や、アミノ配糖体系以外の抗生物質への切替えの検討等を一切しなかった。
本件患者について、感染防止、特に緑膿菌対策のための抗生物質の投与が不可避であったかどうか、アミノ配糖体系抗生物質以外の薬剤使用は可能であったかどうか、について以下検討する。
(一) 感染防止対策について
本件患者は、控訴人病院に入院中、緑膿菌感染の危機に晒されておらず、生命の危険があったわけではない。しかるに、本件担当医師は、感染防止の観点からではなく、潰瘍面を被覆するという観点から、専らアミノ配糖体系抗生物質(特にバラマイシン軟膏)を投与しており、「生命」か「聴力」かという二者択一的な深刻な状況下で本件患者に対して抗生物質が投与されたわけではない。
(二) 代替薬について
本件当時、緑膿菌対策の薬剤として、各大学病院において、アミノ配糖体系抗生物質以外に、次の薬剤が使用されていた(<証拠>)。
<1> サルファマイロン(阪大、江東病院、北大、慶大、長崎大)
<2> シルバーサルファダイヤジン(阪大、長崎大、江東病院、東大、京大、順天堂大)
<3> エキザルベ軟膏(九大)
<4> クロマイP軟膏(九大)
<5> 〇・五パーセント硝酸銀溶液(江東病院、慶大、長崎大)
<6> ブロメライン軟膏(京大)
<7> エレーヌ軟膏(京大)
<8> アズノール軟膏(京大、東大)
<9> パンフラン軟膏(京大)
右のとおり、感染防止のための薬剤として、アミノ配糖体系抗生物質以外にも難聴の副作用のない多くの薬剤が使用されていた。控訴人が代替薬を検討しなかったのは、けっきょく、本件患者に対する難聴発生の可能性について全く予見をしていなかったからである(本件担当医師は、本件患者の難聴の原因が抗生物質によるとの認識を抱いた昭和五三年八月一八日、バラマイシン軟膏を〇・一パーセントアクリノールワセリンに切り替えている。潰瘍面を被覆するという目的であれば、〇・一パーセントアクリノールワセリンでも十分こと足りたのである。)。
3 損害について
(一) 被控訴人有の聴力障害の程度
被控訴人有の両耳の平均純音聴力損失値(純音聴力レベル)は九〇デシベル以上(新JIS規格)であり(<証拠>)、自動車損害賠償保障法及び労働者災害補償保険法による聴力喪失に関する後遺障害認定基準によると、第四級の三に該当する。したがって、同被控訴人の労働能力喪失率は九二パーセントである。
(二) 被控訴人有の慰謝料
同被控訴人の慰謝料を算定するに当たって、前項の後遺障害の程度(それは、「ある程度の不本意な結果」というような生易しいものではない。)のほか、本件担当医師の前記1、2の義務違反の程度、被控訴人らに難聴の原因を教えてくれなかった責任、更には本来の治療(植皮術)の不成功(植皮術後、被控訴人有には体を動かすことも歩くこともできない重篤な後遺症が残り、これらの後遺症は数年間の被控訴人らの血の滲むようなリハビリによって克服された。)等を考慮すべきであり、原判決認定の三〇〇万円は低きに失する。
(三) 被控訴人有の逸失利益、被控訴人保男及び同光子の慰謝料
原判決は、被控訴人有の逸失利益を算定するに当たって、同被控訴人の後遺障害の程度を第六級の三と評価し、労働能力喪失率を六七パーセントとして計算したが、これは前記(一)のとおり誤っている。
本件患者の治療に当たり、本件担当医師らには宥恕すべき事情が全くなく、本来の治療(植皮術)も成功したとはいえないことに鑑みると、被控訴人ら側にある程度不本意な結果が生じたとしても止むを得ないとすることはできず、被控訴人保男及び同光子の慰謝料も原判決認定の各一五〇万円では低きに失する。
理由
一1 被控訴人有は、昭和四二年一〇月八日生まれで、被控訴人保男及び被控訴人光子の長男であるが、昭和五三年一月二四日(当時満一〇歳)に自宅の火事で全身に熱傷を受け、筑豊労災病院に入院して応急治療を受けた後、同年二月二〇日、皮膚移植手術等の本格的治療を受けるため、控訴人が医学部の附属施設として設置し医療業務も行っている久留米大学病院(以下「控訴人病院」という。)に入院し、五回に亙る植皮術を受けて、同年一二月二六日に退院した。
2 右の控訴人病院入院中における被控訴人有(本件患者)の主治医は、入院時から昭和五三年三月末日まで及び同年一〇月一日から退院時までは永田正和医師であり、同年四月一日から同年九月末日までは古賀英昭医師であって、両医師(本件担当医師)は、いずれも控訴人病院に勤務する医師であった。
以上の各事実(請求原因1、2)は、当事者間に争いがない。
二 そこで、被控訴人有の熱傷の程度・態様、これに対する本件担当医師らによる加療・手術等の経過及び使用した薬剤(種類・効能・量・副作用の有無等)並びに控訴人病院に入院中に被控訴人有に難聴の症状が出現し、これに対しも控訴人病院において一定の対策・加療がなされたが、被控訴人有の両感音性難聴は重篤な状態で固定化するに至っている旨の主張事実(請求原因3ないし8及びこれに対する控訴人の反論。但し、本件薬剤の使用と被控訴人有の難聴発現との因果関係の有無・程度及び本件担当医師の過失の有無・程度等についての法的判断の詳細に関しては、更に後述する。)につき検討する。
1 請求原因4のうち、本件担当医師らが被控訴人有に対し、(一)バラマイシン軟膏を昭和五三年二月二〇日(入院時)から同年八月一八日まで、(二)ポリミキシンBを右入院時から同年五月一八日まで、(三)コリマイフォームを同年五月一八日から同年七月二一日まで、それぞれ外用投与し、また(四)ゲンタマイシンの外用投与したことは、いずれも当事者間に争いがない。
2 前記一の1及び2と右二の1の当事者間に争いのない各事実のほか、<証拠>を総合すると、左のとおり付加し訂正するほか、ほぼ原判決理由二の1ないし15(原判決一〇枚目裏八行目から同一五枚目表五行目まで)と同旨の事実を認定することができ、その認定に反する<証拠>は措信しない。
(一) 原判決一〇枚目裏一一ないし一二行目の「その予防のためにも植皮手術が急がれたこと、」を次のとおりに改める。
「敗血症の併発を防止しつつ植皮術を施していくことが急がれたこと(なお、重症熱傷の患者は、かっては受傷直後のショックにより死亡する事例が最も多かったが、本件当時においては、全身管理に関する医療水準が向上した結果、熱傷創の感染(殊に緑膿菌)に続発する敗血症が死亡の主因となるに至っており、熱傷の最終的な治療である植皮の完了までの間も、緑膿菌対策を継続すべきことが一般の医療水準となっていた。本件患者も、控訴人病院に転入院した時点では、ショック死の危険状態は切り抜けていたが、緑膿菌対策が重要な問題となっていたものであり、<証拠>によっても、右のような症状は数回に亙る植皮術の進行中も継続していたと認められる。本件患者が控訴人病院においては緑膿菌対策を必要とするような状態ではなかったかにいう被控訴人らの主張は、本件担当医師らが懸命に行った極めて専門的かつ困難な救命処置の努力の成果を不当に軽視するものである。)、」
(二) 原判決一二枚目表二行目の「用法用量」から同七行目の「からであること」までを次のとおりに改める。
「用法・用量として、筋肉内注射、髄腔内注入、同所投与、経口投与のそれぞれについて説明記載があり、このうち局所投与については、『創傷、熱傷および手術後の二次感染に使用する場合には、硫酸ポリミキシンBとして通常成人五〇万単位を注射用蒸留水または生理食塩水五~五〇ミリリットルに溶解し、その適量を患部に散布する。一回の最高投与量は、五〇万単位を超えてはならない。』と記載されているが、製薬会社がこのような記載をしたのは、局所投与の場合、副作用の具体的な臨床報告例はなかったものの、『炎症局所へ高濃度あるいは広範囲にわたる投与の場合、吸収されて腎障害、神経障害等の副作用が発現する可能性は否定出来』なかったからであること(ちなみに、右能書には、注射の場合についての記載としてではあるが、使用上の注意として『経口投与以外の投与法により、腎又は神経系に重篤な副作用を起こすことがあるので、本剤以外に使用する薬剤がない場合にのみ使用すること』と、また、その副作用について『まれに難聴……等の症状があらわれることがあるので、観察を十分に行い、このような症状があらわれた場合には投与を中止すること』との指摘がなされている。)」
(三) 原判決一二枚目表八行目の「同年五月一〇日まで」を「同年五月一五日(前記の争いのない事実によると同年五月一八日までであるが、<証拠>には同年五月一六日以降においてポリミキシンBを投与した旨の記載はない。)まで」と改める。
(四) 原判決一二枚目表末行の「昭和五三年二月作成の能書には」から同裏三行目の「と記載されているが(<証拠>)、」までを次のとおりに改める。
「昭和五三年二月改定の能書には、同剤の用法・用量として、『通常症状により適量を一日一回~数回、直接患部に塗布または無菌ガーゼにのばして貼付する。』と、また使用上の注意として『広範囲な熱傷、潰瘍のある皮膚には長期間連用しないこと。』及び『腎障害、難聴があらわれる可能性があるので、長期連用を避けること。』と、それぞれ記載されているが、これらの記載は昭和五二年一〇月に公示された硫酸フラジオマイシンについての医薬品再評価結果に基づくものであること(<証拠>)、」
(五) 原判決一二枚目裏九行目の「昭和五二年七月改定の能書には」から同一一行目末尾までを次のとおりに改める。
「昭和五二年七月改定の能書には、用法・用量として『予め患部を清拭し患部に噴射口を向け、上部ボタンを押し適宜噴射塗布する。』と、また使用上の注意として『広範囲な火傷、潰瘍のある皮膚の患者』には『長期間投与しないこと』と、それぞれ記載されているが、このような趣旨の使用上の注意事項の記載は、昭和四七年三月二五日の厚生省薬務局長通知による指導に基づき、昭和五一年三月二九日付の『医療用医薬品添付文書の記載方式について』に従ってなされたものであること(<証拠>)、」
(六) 原判決一四枚目表二ないし三行目の「バラマイシン軟膏、ポリミキシンB等の投与を中止し、」を「バラマイシン軟膏の投与を中止し、」と改め、同一四枚目表七行目の「右八九デシベル、左八七デシベルの聴力喪失」から同九行目の「該当すること、」までを「左右とも九〇デシベル以上(昭和五七年改正後の新JIS適合のオージオメーターによる測定値。右改正前の旧JIS適合のオージオメーターによる測定値は右八九デシベル、左八七デシベルである。)の聴力障害で固定し、これは身体障害者福祉法別表二の1、労働基準法施行規則別表第二身体障害者等級表及び労働者災害補償保険法施行規則別表障害等級表の各第四級三に該当すること(<証拠>)」と改める。
(七) 原判決一四枚目裏初行冒頭から同六行目末尾までを次のとおりに改める。
「12 被控訴人有に生じた右の聴力喪失の原因について検討するに、本件に顕われた全証拠によっても、同被控訴人に生来的な聴覚の障害があったとか薬毒に対する極めて稀な特異体質があったという事実は認められないところである。他方、<証拠>によれば、被控訴人有が当初に約一か月間入院していた筑豊労災病院においても、アミノ配糖体系抗生物質が投与された事実が認められるほか、重症熱傷を負って全身の抵抗力が低下した状態が続いた同被控訴人自身の身体的な負因もあり、これらが薬剤の副作用の発現及び悪化を招いた可能性も完全に否定することは困難である。
しかしながら、前認定のとおりの控訴人病院における本件薬剤の継続的かつ多量の外用投与の事実と、被控訴人有の難聴発現の時期及びその経過に照らすと、右の難聴は、主として、本件担当医師が被控訴人有に対する緑膿菌対策として継続的に外用投与した本件薬剤に含まれるアミノ配糖体系抗生物質(殊に硫酸フラジオマイシン)の副作用として発現したと見るのが、訴訟上証明された真実に合致する所以である(ちなみに、<証拠>によれば、本件当時以後に公表された症例ではあるが、熱傷患者に外用投与されたフラジオマイシンによる難聴の発現例が現に存在するのである。)と言わざるを得ないのである。
13 そして、本件薬剤に添付されていた各能書に前認定のとおり用法・用量及び使用上の注意についての記載(殊に、バラマイシン軟膏及びコリマイフォームについては、広範囲な熱傷・潰瘍のある皮膚に長期間連用すべきでない旨が明記され、バラマイシン軟膏については、更に、長期連用により難聴があらわれる可能性がある旨の具体的な指摘もなされている。)があったことは、本件当時において本件担当医師らが認識していたことは明らかである。」
(八) 原判決一四枚目裏一〇行目の「難聴の事例もなかったため、」を「難聴の事例もなかったし、内・外国の文献上の症例報告にも接するに至っていなかったため、」と改める。
三 以上の認定事実を前提として、本件についての控訴人の責任の有無及び程度について判断を進めることとするが、(一) 控訴人病院に入院した当初における被控訴人有の容態は極めて重篤であり、緑膿菌感染に対する対策が急務であったというべきところ、本件担当医師が使用した本件薬剤は、本件当時において、右の目的のためには有用な薬剤であった(この点については更に後に検討を加える。)のであり、その能書に副作用について前認定のような注意点が記載されていたとしても、外用薬として使用された場合における現実の副作用発現の症例報告が一般に知られていなかったことでもあり、これを一切使用してはならなかったとすることができないのはいうまでもなく、更に、被控訴人有の容態からしても予め精密な聴力検査を実施したうえで初めて本件薬剤の使用を開始すべきであったとすることもできないところである。(二) しかしながら、本件担当医師が、重篤な難聴の副作用を持つアミノ配糖体系抗生物質を含む本件薬剤を、重症かつ広範囲の熱傷患者である被控訴人有に対して相当の期間に亙って連用するについては、前認定の能書の注意事項等を念頭に置きつつ、その副作用の発現可能性について予見し又は予見に努めたうえ(本件において右の予見可能性があったことについては後述する。)、(1) 同じ控訴人病院に設置されている耳鼻料の医師らと緊密な連係を保ちつつ可能な限り早期に聴力検査を実施するのをはじめとして、定期的な聴力検査を行い、(2) 自ら及び看護婦等を介しての観察並びに父母等の付添人に対する観察指示を通して本件患者の聴力異常の早期発見に万全を期し、(3) 以上の結果、本件患者の聴力異常を発見したときには、可能な限りの措置を講じて重篤な聴力障害への進行を阻止すべきであり、(4) このほか、本件薬剤の連用可能期間の限界(副作用の点のほか、耐性菌の問題にも対処する必要がある。)に常に留意して、より副作用の少ない代替薬品を入手するよう研究努力して、必要に応じて速やかにこれを使用できるようにしておく(この点の対処可能性があったことについては後述する。)べき注意義務があったというべきである。
しかるに、本件担当医師は、(控訴人病院の皮膚科の他の医師団ともども)、本件薬剤に代わる緑膿菌対策の有効薬の検討をしないまま、本件患者に対する本件薬剤の長期連用に踏み切りながら、早期の聴力検査を実施せず(控訴人は、本件患者の聴力異常に気が付いた昭和五三年七月一九日の数日後である同月二四日には、本件患者が植皮術の直後であったため、耳鼻科の検査室に赴いて聴力検査を受けさせることはできなかったように主張しているが、難聴の副作用を防止する目的での聴力検査の実施は、まずもって、聴力異常が発見される前の早い時期に実施するに越したことはない道理であり、<証拠>によれば、本件患者は、同年四月末ころには全身状態がかなり改善されていたことが窺われるうえ、同年五月一一日ころ(三回目の植皮術の数日前)には車椅子で地下食堂まで行っているし、同年六月上旬には父親と将棋を指すなどする元気もあったことが認められるのであるから、これらの時点において聴力検査を実施することは可能であったのではないかと考えられる。)、また同年六月中旬から七月上旬にかけて本件患者の両親である被控訴人保男及び同光子らが気付いていた聴力異常に関する情報を把握することができず、更に遅くとも同年七月一二日に看護婦によって難聴の具体的兆候が確認された後も、(同月一八日に四回目の植皮術が行われ、その経過観察等が必要であったとはいえ)、同年八月一八日(同日に耳鼻科医による聴力の精密検査が行われて両感音性難聴と診断されたことは前認定のとおりである。)に中止するに至るまでバラマイシン軟膏の外用塗布投与を継続したのである。そして、その後は、本件担当医師らは、本件薬剤の使用を止め、耳鼻科医と連係をとりつつ、定期的な聴力検査を行い、難聴に対する治療にも努力したのであるが、本件患者の難聴の進行を阻止し得るには至らなかったのである。
そうであってみれば、本件担当医師が、昭和五三年五月中旬ころまでに本件患者に聴力検査を受けさせ、又は遅くとも同年七月上旬ないし中旬ころまでに本件患者の聴力異常の有無に深い関心を払いつつ、本件薬剤に代わる薬剤の使用を検討し準備しておいたならば、本件患者の聴力異常をより早く発見することができ、ないしは本件薬剤の使用をより早期に中止して適当な代替薬に切り替えることができ、被控訴人有の難聴の発現ないし進行を回避し又は最小限度に食い止め得た可能性があった(この点についても更に後述する。)と認めるのが相当であり、これを怠った点において、本件担当医師は、被控訴人有に対する診療行為につき、法律上の過失(不法行為)を免れず、控訴人は民法七一五条に基づき、被控訴人らに生じた損害(但し、本件の諸般の事情に鑑み、損害の公平な分担を期する民法の基本原則に基づいた賠償額の調整を要する。)の賠償の責に任ずべきである。
四 以上の諸点の認定判断に関する詳細及びこれについての控訴人の反論につき、以下に検討を付加する。
1(一) 控訴人は、本件当時、熱傷治療に当たる一般の医師の認識として、アミノ配糖体系抗生物質の能書に難聴の副作用の記載があることは知っていたが、これを熱傷患者に対して外用塗布する場合にも難聴が発生するとの認識はなく、右難聴の予見可能性はなかった旨主張し、例えば、成立に争いのない<証拠>(大阪大学教授杉本侃、北海道大学教授大浦武彦編集「熱傷」昭和五七年発行。同<証拠>の第五章[2]三一九頁(執筆者吉田哲憲)には、アミノ配糖体系抗生物質の外用投与(特にワセリン基剤)の場合における熱傷創面からの吸収問題につき、「局所からの吸収のみで副作用を起こすことは考えがたい」との記載がある。)、当審証人加治英雅の証言により原本の存在及び成立を認めることができる<証拠>(昭和五二年九月八日付台糖ファイザー株式会社作成にかかる「実験的家兎皮膚剥削部位よりの〇・一パーセント硫酸ポリミキシンB軟膏の経皮的吸収について」と題する報告書。同報告書によれば、「家兎を用いて火傷後一週間における肉芽増殖期を想定した各種面積の実験的皮膚剥削創面にポリミキシンB含有軟膏を塗布して、その経皮吸収量を測定したところ、吸収量は極めて低く、局所適用の安全性に問題はない」旨が記載されている。)、<証拠>(トブラシン溶液についての体液内濃度測定試験)、<証拠>には、控訴人の右主張に副うかのような部分が存在する。
(二) しかしながら、医師は、一般的に、診察及び治療に当たり、その業務の性質上、危険防止のための最善の注意義務を尽くす必要があり、右注意義務の基準となるのは当時の臨床医学の実践における医療水準であるというべきところ、以下順次検討するとおり、本件薬剤の毒性(能書の存在)、本件担当医師の専門分野、発行文献、本件当時の重症熱傷患者に対する各大学病院等の治療内容などの諸般の事情を総合すると、本件担当医師の属する大学病院皮膚科の治療において、右医師らが本件当時重症熱傷患者に対する感染予防対策として本件薬剤を外用剤として長期連用する場合、本件患者の熱傷創面(熱傷で表皮が皮膚からとり除かれた場合の壊死物質の付着しない潰瘍面・肉芽面)からの薬品吸収による副作用の問題を予見して当該治療に当たるべきことは、当時の臨床医学の実践における医療水準の内容をなすものと認められ、前項掲記の各証拠をもって右判断を左右するに足りないといわなければならない。
(1) 本件患者の熱傷創面は、前記(原判決理由二1)認定のとおり、全身の約七六パーセント(大部分が三度)にも及ぶ広範囲なものであり、決して局所というに止まらないところ、<証拠>によれば、本件薬剤中バラマイシン軟膏及びコリマイフォームに含まれる硫酸フラジオマイシンは、同じアミノ配糖体系抗生物質であるゲンタマイシンに比べて、動物実験の結果、腎毒性、聴毒性が特に強く、それゆえ注射には用いられず、外用及び経口投与のみが行われるが、その能書(<証拠>)に外用剤として使用する場合「広範囲な熱傷、潰瘍のある皮膚(の患者)には長期間連用(投与)しないこと」と長期連用を禁止する旨の記載がされているのは右の毒性の故であること(ちなみに、硫酸フラジオマイシンがゲンタマイシンに比べて腎毒性、聴毒性が強いことは昭和四五年ころから判明しており、ゲンタマイシンの能書には全身投与につき慎重使用の記載はあっても、硫酸フラジオマイシンのような全身投与を禁止する等の厳格な注意書の記載まではなかった。イギリスでは一九七七年(昭和五二年)に医療薬品安全委員会において、硫酸フラジオマイシンと同一薬であるネオマイシンによる不可逆的な聴力障害の発生について、それが何の徴候もなく突発することの重大性を警告していた。我が国においても、硫酸フラジオマイシンに関する前記能書の記載は、昭和五二年一〇月公示の医薬品再評価結果以後、製薬会社によってなされている。)、三度以上の熱湯が全身の三〇パーセント以上に及ぶ重症熱傷患者に対する治療は、熱傷部位やその面積及び深度、患者の年齢及び既往症、合併症等を考慮してなすべきであり、その公式化は難しいが、一般的には、受傷初期にあっては腎臓の血液循環障害等によるショック死からの救命措置そのもの、その後は敗血症、肺炎等罹患を回避するための速やかな植皮術の実施とその間の熱傷創面からの緑膿菌等の感染予防対策が眼目となるところ、本件当時、重症熱傷患者に対する緑膿菌対策の薬剤としては、各大学、病院等で、緑膿菌の耐性との関係で各種のものが使用されており、特に外用剤としては、本件薬剤のほかアミノ配糖体系抗生物質、その他の抗生物質及び非抗生物質を含む各種薬剤が使用されており、必ずしもアミノ配糖体系抗生物質、とりわけバラマイシン軟膏等の本件薬剤のみが唯一の外用剤ではなかったこと(外用剤の目的は、主に抗菌、創面の保護及び上皮化促進等にあり、その目的に合せて、かつ、緑膿菌の耐性の問題とも絡んで、各種外用剤が適宜使用されている。)、すなわち、宮崎医科大学では壊死物質の付着した熱傷創面(焼痂)に対しては感染対策としてまず非抗生物質のシルバーサルファダイアジンを使用し、右焼痂の脱落後はゲンタマイシン、ソフラチュールガーゼ等のアミノ配糖体系抗生物質を使用していたこと、同大学でシルバーサルファダイアジンを使用するようになったのは昭和五二年の第三回日本熱傷学会で同剤の使用を勧める杏林大学の研究報告があったことを契機としており、昭和五二年ころから同剤を取り寄せ使用していたこと、他に九州内で同剤を外用剤として使用する大学に熊本大学、長崎大学、九州大学等があり、九州大学では昭和五三年二月ころから同剤を使用していたこと(なお、九州大学では、感染対策の外用剤としては主にエキザルベ軟膏、ゲンタシン軟膏、クロマイP軟膏等を使用していた。)、バラマイシン軟膏を主な外用剤として使用する大学(北海道大学)やバラマイシン軟膏、〇・五パーセント硝酸銀溶液、サルファマイロンクリーム等を使用する大学(慶応義塾大学)もあったが、バラマイシン軟膏を重症熱傷患者の外用剤として使用しない大学(九州大学、宮崎医科大学)やサルファマイロンクリーム、シルバーサルファダイアジン等の非抗生物質を主に使用し、抗生物質を殆ど使用しない病院(江東病院)、大学(順天堂大学)もあり、バラマイシン軟膏、シルバーサルファダイアジン等を使用しながら、外用剤の長期使用について、一般に薬剤の経皮吸収による全身影響の問題に留意すべきと考えていた大学(東京大学)もあったこと、本件当時皮膚科の専門誌には右多様な治療方法の紹介記事が存在し、大学病院の皮膚科に勤務する本件担当医師らが右情報に接することは容易であったこと、外用剤使用の副作用に関する文献として、当時、表皮から皮膚が取り除かれた熱傷の潰瘍面に対する毒性物質の外用に警告を与えるもの(<証拠>・南山堂版、岩手医科大学教授伊崎正勝著「臨床皮膚化学」昭和四七年六月発行)、ネオマイシンを含有する豚皮植皮を熱傷部の皮膚に実施した場合右ネオマイシンが経皮的に吸収され患者に難聴が発現した旨の米国における症例報告(<証拠>・外科年報一九七四年(昭和四九年)二月号。<証拠>によると、同文献は我が国の各大学にも備え付けられていたことが窺える。)などのあることが認められる(なお、<証拠>中には、昭和四〇年当時の外国の文献として、ゲンタマイシン軟膏を熱傷潰瘍に塗布した場合の吸収率についての報告例も引用されている。)。
(2) 以上によると、本件当時、植皮術を必要とする重症熱傷患者の治療に当たる大学病院皮膚科の医師としては、植皮術の完了までの緑膿菌対策として、それぞれ効用と副作用を異にする各種薬剤(アミノ配糖体系抗生物質及びその他の抗生物質等を含む薬剤と、これらを含まない薬剤とがあり得る。)を外用剤として使用することができ、本件担当医師が本件患者に対する緑膿菌感染予防の治療として本件薬剤(特に硫酸フラジオマイシンを含むバラマイシン軟膏、コリマイフォーム)をその他の薬剤とともに広範囲な熱傷創面に対する外用剤として使用したこと自体は、医師の診断方針の決定に際しての裁量の範囲に属する事項であったというべきであるが、その場合、アミノ配糖体系抗生物質、特に硫酸フラジオマイシンによる副作用が、これを含む薬剤の使用期間を問わず外用によっては一切発生しないとする見解が大学病院皮膚科としての臨床医学の実践の場における一般的な医療水準であったとは容易に断定しがたいところである。
すなわち、一般に、治療において各種薬剤を投与する医師は、右薬剤の効能と副作用を十分見極め、これを前提として、可能な限り副作用の発生しないよう、患者のそのときどきの容体を考慮に入れながら、右容体との比較において、当該薬剤を適切に使用すべき義務があり、仮に救命のために右薬剤使用に因ってある程度の副作用の発生も止むを得ないという場合には、可能な限り代替薬の検索をして右副作用の回避に努めたうえ、更に右薬剤使用による副作用の発生について患者ないし保護者に事態を説明して、当該薬剤の使用につき予め患者側の同意を得ることに努めるなどの医療上の注意義務があるというべきところ、本件において、本件担当医師が外用剤として使用した本件薬剤は特に腎毒性、聴毒性の強い硫酸フラジオマイシンを含有していたのであるから、これら薬剤を選択して長期連用する以上、当然その経皮吸収による副作用(難聴)の発現を予見すべきであったというべく、右予見義務を医療上の義務として課すことは、大学病院皮膚科の医師にとって本件当時の臨床医学の実践における医療水準の内容をなすものであったというべきである。
<証拠>によると、アミノ酸糖体系抗生物質の外用塗布投皮による難聴の発現については、昭和五二年、昭和五七年及び昭和五八年に発生した我が国の症例が昭和五九年ないし昭和六〇年になって本邦内で初めて報告されたこと、したがって本件当時アミノ配糖体系抗生物質を含む本件薬剤の外用塗布投与による副作用の発生について我が国の症例報告はなかったことが認められるが、前記のとおり、本件当時、大学病院の皮膚科に勤務する医師であれば、他大学の治療方法、内外の文献を通して、熱傷創面に対する外用剤の塗布投与による経皮吸収の問題を知り得たはずであり、硫酸フラジオマイシンが他のアミノ配糖体系抗生物質に比べて特に毒性の強いことはイギリスの動向を直接知らなくとも本件薬剤の能書の記載から容易に知り得たはずであること、更に、本件担当医師は、硫酸フラジオマイシンの副作用による聴中毒が不可逆性を有することは十分承知していたこと(この事実は<証拠>によってこれを認めることができる。)、本件患者の外用剤を使用する熱傷創面は広範囲であったこと等の諸事情を考慮すると、右のとおり本件当時には本邦内で発行する文献に外用剤投与による難聴発現の直接の症例報告はなかったとしても、本件担当医師は、本件患者の治療に当たって、当然本件薬剤の長期連用に伴う副作用(難聴)の発現を予見すべき義務があったといわなければならない。
2(一) <証拠>によると、控訴人病院では、一般に、主治医制(半年交替)を採っていたが、重症熱傷患者に対する治療は皮膚科の医師全員(約一五、六名)が当たり、問題点については教授回診、助教授回診、あるいは医局の検討会等で相談を持ちながら行っていたところ、本件患者の入院に際しては、外用剤使用の一般的治療方針として、通常はバラマイシン軟膏を使用する(控訴人病院では、重症熱傷患者の熱傷創面に塗布する外用剤として、感染予防及び痛みを和らげる観点からワセリン基剤の軟膏を最も適当とするとの判断に基づき、バラマイシン軟膏を通常使用することとしていた。)が、緑膿菌感染の強いときにはポリミキシンBを使用することを決めたことが認められること、本件担当医師(当時は、いずれも助手)は、右方針に従い、先に引用した原判決理由二5ないし7記載のとおり、本件薬剤を本件患者の入院直後から多量に外用塗布投与し、バラマイシン軟膏は約半年間(昭和五三年二月二一日から同年八月一七日まで。細菌検査で緑膿菌が検出されない場合でも同剤を潰瘍面の被覆のために使用した。)、ポリミキシンBは約三か月間(同年二月二一日から同年五月一五日まで。)及びコリマイフォームは約二か月間(同年五月一八日から同年七月二〇日まで。)連用していること、なお入院当初は緑膿菌汚染が強かったため二日間トプラシンの筋肉注射をしたこと、以上の事実が明らかである。
更に、<証拠>によると、控訴人病院ではポリミキシンBの投与を本件患者の疼痛の訴えに基づき第三回目の植皮術(昭和五三年五月一六日実施)後コリマイフォームに切り替え、バラマイシン軟膏の投与は第二回目の植皮術(同年四月一八日実施)後である同年五月初め以降一時エキザルベ軟膏に切り替えたが、同月二〇日以降再びバラマイシン軟膏に切り替え、同年八月一七日まで同軟膏を連用したこと、また、古賀医師らは同年七月二二日ころ本件患者の難聴の原因を筑豊労災病院で投与されたデキマイシン、控訴人病院で外用剤として使用したコリマフォーム、バラマイシン軟膏等に含まれる硫酸フラジオマイシンではないかと疑い、コリマイフォームについては直ちに使用を中止し、バラマイシン軟膏についても一時〇・一パーセントリバノールソルベースに切り替えを検討したが、適切な代替薬ではないと判断して、潰瘍残存部には依然右バラマイシン軟膏の使用を継続していたことが認められる。
(二) 上記認定の各事実と<証拠>によると、控訴人病院において、本件患者の植皮術が完了して退院するまでに約一〇か月間を要したことは、本件患者の年齢、熱傷範囲、全身麻酔に耐える体力の確保等に照らして止むを得なかったと認められるが、本件患者は第三回の植皮術(昭和五三年五月一六日実施)後の同年中旬ころから聴力異常の徴候(耳鳴り)を示していたところ、控訴人病院で本件患者の聴力異常に気付いたのは同年七月一九日ころであり、それまでは本件薬剤(バラマイシン軟膏、コリマフォーム)を従前通り外用剤として使用しており、本件担当医師らによる検討会で右薬剤の連用による副作用を考慮することは全くなかったこと、バラマイシン軟膏は聴力の精密検査を実施した同年八月一八日に至るまで使用を続け、同検査において本件患者が難聴と診断されたのちに初めてその使用を中止していることが明らかである。
しかして、控訴人病院医師間では本件患者の聴力障害に気付いた右七月一九日までの間、本件担当医師が本件薬剤の能書を考慮した使用方法を検討した節は窺えず、当審証人永田正和、同古賀英昭の各証言によっても、この間、本件患者に対する教授回診、助教授回診でこのことが問題とされた事実(もっとも前記のとおり同年五月中旬ころポリミキシンBをコリマイフォームに切り替えたことは認められるが、それに止まる。)、更に、本件薬剤の使用期間について担当医師間で検討した事実は窺えないのである。当審古賀英昭の証言中には、担当医師として本件患者の生命の危険が回避されたと実感できたのは同年八月一〇日ころである旨供述する部分があるが、<証拠>によっても、前記の七月一九日までの間、本件患者について本件薬剤(特に硫酸フラジオマイシンを含むバラマイシン軟膏、コリマイフォーム)の使用継続が不可避であり、同患者に右薬剤使用による副作用の発生も止むを得ない状況が継続かつ逼迫して存在していたとの具体的事情までは認めがたい。控訴人は、本件患者について、当時緑膿菌対策の治療が最優先であり、これを怠れば本件患者は死亡する旨強調するが、一般論としてはともかく、前述の同年五月中旬ころ、ないし遅くとも右七月中旬ころには、本件患者について、本件薬剤の使用が選択の余地もないほど緊要であった事実を窺うに足る証拠は認められないのである。
(三) してみると、本件担当医師は、本件患者につき、入院後約三か月近くを経過した昭和五三年五月一六日の第三回目の植皮術の前後ころから同年七月一八日の第四回目の植皮術実施のころにかけて、本件薬剤の長期連用による副作用の発生を予見して適切な対策を講ずることは十分可能だったと認められるに拘らず、これを予見せず、その後も本件薬剤中バラマイシン軟膏の外用塗布投与を中止せず、同年八月一七日までこれを長期間連用し続け、その間、難聴の発生を未然に防止すべく、定期的な聴力検査を実施してその前駆症状の早期把握に務め、右前駆症状発見後は症状悪化を回避するため使用する外用剤の種類の変更を検討し、合わせて難聴対策の治療を行う(<証拠>に引用されている本件当時以前に公表された諸論文をはじめ、<証拠>によると、薬物等を原因とする感音難聴に対しては、早期にビタミンB、末梢血管拡張剤などを投与することにより、その進行をある程度くい止めることができることが認められる。)などの措置を採ることが全くなかった点において、医療上の過失を否定できない。
<証拠>には、本件患者の聴力障害が同年七月一九日から同年八月一八日の間急激に進行したこと(この事実は<証拠>によってこれを認めることができる。)は、アミノ酸糖体系抗生物質の副作用による難聴の出現と一般的な出現状況を異にする旨述べる部分、原審証人川崎洋の証言中には、急激な難聴出現の原因として薬物性難聴のほか突発性難聴、心因性難聴等がある旨述べる部分、また当審証人加治英雄の証言中には、本件患者の難聴が本件薬剤の長期連用による副作用か、あるいは広範囲熱傷の全身状態に及ぼす影響、心因性、前医での治療等々本件薬剤の投与と無関係な原因に起因するものであるかは不明である旨述べる部分があり、確かに純然たる科学的因果の関係の解明には困難を伴うことは否定すべくもないが、本件において右突発性ないし心因性の難聴と認定するに足りる証拠はなく、むしろ本件患者の聴力障害の出現経過に徴すると、本件患者の難聴の主たる原因は本件薬剤中に含まれるアミノ酸糖体系抗生物質(特に硫酸フラジオマイシン)による副作用とみるのが相当であり、前記各証言をもって右認定を左右するに足りず、他に右認定を覆すべき証拠はない(なお、<証拠>で公表されているフラジオマイシン軟膏等の副作用発現症例における同薬剤の連用期間は、二か月半、四か月、八か月ないし一一か月等である。)。
けっきょく、本件患者の難聴の現症状は、本件担当医師の前記過失と相当因果関係があるといわなければならない。
3(一) <証拠>によると、本件患者は控訴人病院に転医する前の筑豊労災病院において、昭和五三年一月二五日から同年二月一九日まで約一か月弱の入院期間中、バラマイシン軟膏、コリマイフォーム及びデキマイシン(座薬)などの塗布投与ないしゲンタシンの全身投与を受けていること、このうちバラマイシン軟膏、コリマイフォーム及びデキマイシンは硫酸フラジオマイシンを含む薬剤であることが認められるところ、本件患者は控訴人病院に入院した際何らの聴力障害の徴候もなく、控訴人病院入院後約五か月して右徴候が発現していることに照らすと、右聴力障害が専ら筑豊労災病院におけるアミノ酸糖体系抗生物質の投与によって発現したとは容易に推認しがたく、他にこれを認めるべき的確な証拠もない。
更に、<証拠>によると、本件担当医師(古賀医師)は、本件患者の聴力異常について昭和五三年七月二四日控訴人病院の耳鼻科に診断を依頼し、その際本件患者については従前バラマイシン軟膏の外用をしていた旨説明したけれども、植皮術直後で本件患者を聴力検査室(無音室)に移動することができなかったことから、耳鼻科の江崎医師は、オージオメーターによる高音域の聴力検査を実施できず、簡単な会話領域及び音叉検査のみを行い、その結果異常を認めなかったことから、難聴の疑いを抱かず、古賀医師に対して、単に患者の移動が可能となった段階で聴力検査をしたいのでその間経過観察をするよう指示したにすぎないことが窺えるところ、前記認定のとおり、当時、控訴人病院の皮膚科の医師であれば当然本件薬剤の長期連用による難聴の副作用を予見すべきであったのであり、オージオメーターによる高音域の聴力検査を早期に実施すること(アミノ酸糖体系抗生物質による難聴がまず高音域から症状が進行し、これを早期に把握するには右オージオメーターが是非必要であることは、<証拠>の引用する論文のほか前記江崎証言により明らかである。)は、アミノ酸糖体系抗生物質による難聴を防止するための極めて重要な措置であったというべく、本件担当医師らがかかる考慮を払うことなく同年八月一八日まで漠然と右聴力検査を実施しなかったことは、本件担当医師らの前記過失を一層基礎付けるというべきである。
(二) 控訴人は、本件患者に難聴の徴候を発見した昭和五三年七月一九日ころは植皮衝直後のため外用剤の使用を中止できず、本件患者の移植皮膚の定着が確認され、移動、検査に対する体力的及び症状的対応が可能とされた同年八月一八日の段階で外用剤の使用を中止し、聴力検査も可能となった旨主張するところ、当時右主張のとおり外用剤の使用を中止できず、その間正確な聴力検査も実施できなかったとしても、本件患者については、遅くとも同年五月中旬ころには聴力検査を実施する機会があり、また同年七月一九日ころから使用する外用剤の種類を変更するよう検討することは可能だったこと前記認定のとおりであるから、このような検討すら行わず、従前通りバラマイシン軟膏の外用塗布投与を継続していた本件においては、控訴人の右主張を前提にしても、本件担当医師の過失を否定することはできない。
4 控訴人は、本件薬剤に代わる有効な薬品を当時入手することは不可能であったと主張し、<証拠>には右主張に沿う部分がある。
しかしながら、前記認定のとおり、本件担当医師らが本件患者を治療するに当たって難聴の発現を防止するため本件薬剤の代替薬を検索していた事実などそもそも窺えないのであり、仮に右担当医師らが右代替薬を深していたとすれば、<証拠>によれば、本件当時、全国の各大学病院(九州内では九州大学、宮崎医科大学、長崎大学、熊本大学等)でアミノ酸糖体系抗生物質に代わってサルファマイロンクリーム、シルバーサルファダイアジン等の非抗生物質が重症熱傷患者の外用剤としで治験薬段階ではあるが使用されており、一般の開業医向けの治療雑誌にも右薬剤の紹介記事が複数見受けられたこと、したがって控訴人病院に勤務する皮膚科専門の医師にとって、右シルバーサルファダイアジン等の非抗生物質の存在を本件当時知り得たと期待することに何らの不合理な点もなかったこと、また当時各大学病院等で右非抗生物質とともにエキザルベ軟膏(副腎皮質ホルモン剤を混入した非抗生物質。)ゲンタシン軟膏(バラマイシン軟膏と同じ油脂性基剤を持ち、バラマイシン軟膏より聴毒性が少ない。)、〇・一パーセントアクリノールワセリン(緑膿菌に対する効果は必ずしも強くないが、消毒効果はあり、油脂性基剤を持つ。控訴人病院ではバラマイシン軟膏の使用を中止した昭和五三年八月一八日以降これを代替薬として使用している。)、クロマイP軟膏、〇・五パーセント硝酸銀溶液、エレーヌ軟膏、アイロタイシン軟膏等が重症熱傷患者に対する外用剤として使用されており、控訴人病院の本件担当医師が聴毒性等の強い本件薬剤に代わる代替薬を探そうとすれば、必ずしも不可能ではなかったと認められる。
本件担当医師は、前記認定のとおり本件薬剤、特にバラマイシン軟膏を本件患者に聴力異常が発現するまで長期間連用し続け、その間その変更について全く検討を加えた節が窺えないところ、右の間、本件患者がバラマイシン軟膏、コリマイフォーム等の使用中止を許さない程に常時病状が悪化していたとは認められないこと既に認定したとおりであるから、本件薬剤の使用の必要性が代替薬の選択を許さないほどに緊要であったとはとうてい認めがたい。
前掲証人古賀英昭は、当審において、本件当時サルファマイロンクリームの存在は知っていたが、使用後に著しい疼痛があるため小児には耐えがたいと考えてこれを使用しなかった旨供述するが、同証人が難聴の副作用を考慮したうえ本件薬剤、特にバラマイシン軟膏の使用の可否を検討した節は窺えないのであり、右供述から直ちに同証人の前記過失を否定することはできない。
<証拠>によると、シルバーサルファダイアジンは投与後の副作用として白血球が減少することがあり、その市販は昭和五七年からであることが認められるけれども、<証拠>によると、同薬剤は緑膿菌対策に一定の効果があり、ゲンタシン軟膏(アミノ酸糖体系抗生物質であるゲンタマイシンを含有する。)等と組み合わせて使用されており、大学病院である控訴人病院がバラマイシン軟膏等の本件薬剤の長期連用に伴う副作用の発生を予見する限り、本件当時、シルバーサルファタイアジンに関する情報に接し、これを入手することは不可能ではなかったと認められ、これに反する証拠はない。してみると、右<証拠>等をもっても前記認定を左右するに足りない。
五 被控訴人らの損害について
1 被控訴人有
(一) 慰謝料
被控訴人有の聴力障害の程度は、先に認定したとおり、左右とも九〇デシベル以上であり全聾の状態に近く、この状態は不可逆性を有すると認められるから、同被控訴人が右障害によって少なからざる精神的苦痛を受けたことは容易に推認し得るところである。したがって、これが交通事故のような不法行為に基因する場合であれば、その慰謝料としては一〇〇〇万円を超える領を認容し得る余地もあると考えられる。
しかしながら、本件は、全身約七六パーセントの重度熱傷を負って控訴人病院に入院した被控訴人有に対して、約一〇か月間に及ぶ計五回にわたる植皮術を必要とした治療中に発生した出来事であって、本件担当医師が右入院当初の約三か月間に亘って行った本件薬剤の投与についてはその過失を問うことができない性質のものであるうえ、本件担当医師らにとって、外用剤使用に伴う難聴の副作用発現の予見可能性が高かったとはいえないし、他の大学病院においても一部同様の薬剤を使用する治療方法を採っていたところがあったこと、被控訴人有の難聴は耳鼻科の医師が往診した昭和五三年七月二四日から同科で精密検査を受けた同年八月一八日までの間に急激に悪化しているところ、同被控訴人の第四回目の植皮術(同年七月一八日実施)後の体力、病状等を考慮すると、右時点における精密検査の遅れについては本件担当医師ら側に一方的に責任があるとはいえず、また右第四回目の植皮術は本件患者にとっても必要な治療であったこと、本件患者の父母である被控訴人保男、同光子らは本件患者の聴力異常に昭和五三年六月中旬ころ気付きながら、これを控訴人病院に申し出たのは同年七月一二日ころになってからであること、アミノ酸糖体系抗生物質の副作用による聴力異常の発現は個人差があり(この事実は<証拠>によってこれを認めることができる。)我が国において本件当時外用剤使用による難聴の発生についてはその症例報告がなかったこと等諸般の事情(なお、被控訴人らは、被控訴人有が退院した後も歩行することができないような後遺症が残ったとして、熱傷の治療(植皮術)そのものも不成功であったと主張しているが、前掲各証拠によれば、長期に亘る入院と熱傷の治療のために、一定の期間、関節や筋肉に異常を来たし、これが回復のためには別途形成外科的な処置及びリハビリテーション等が必要となるのであり、本件担当医師らは、その点にも考慮を払いつつ植皮術を施行したり形成外科医らとの連携をとっているところであって、それらの点において控訴人病院に落度があったということもできない。)に鑑みると、損害の公平な分担の理念に照らして、控訴人に負担させるべき被控訴人有の慰謝料は五〇〇万円と認めるのが相当である。
(二) 逸失利益
被控訴人有は、本件当時満一〇才の男子であり、本件聴力障害がなければ満一八才から満六七才まで四九年間稼働し得たというべきところ、右聴力障害の程度は、前記認定のとおり労働基準法施行規則別表第二身体障害者等級及び労働者災害補償保険法施行規則別表障害等級表の各第四級三「両耳を全く聾したもの」ないし「両耳の聴力を全く失ったもの」に該当することが明らかであるから、不可逆性を有する右障害による労働能力喪失率は、右各等級表そのものに準拠すれば、前記稼働可能期間全般にわたって少なくとも九割を下回ることがないと認められる。そこで、これを前提としつつ、被控訴人有の逸失利益の額を試算するに、症状固定時は昭和五六年六月四日であるから、当裁判所に顕著な昭和五六年度賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計男子労働者学歴計の年収額三六三万三四〇〇円(二三万五三〇〇円×一二+八〇万九八〇〇円)を採用したうえ、同被控訴人の満一八才から満六七才までの稼働可能期間における右逸失利益の不法行為時たる本件当時における現価を算出(ライプニッツ係数一二・二九七三)すると、次式のとおり四〇二一万二九〇八円となる(円未満切捨て)。
三六三万三四〇〇円×〇・九×一二・二九七三=四〇二一万二九〇八円
ところで、本件薬剤の長期連用に伴う副作用の発生を予見し得なかった本件担当医師の過失はこれを否定することができないところ、本件逸失利益の算定においても、右(一)掲記の諸事実及び本件に顕われた諸般の事情に鑑みて、損害の公平分担の理念を考慮すべきと考えられるから、控訴人に負担させるのを相当とする被控訴人有の逸失利益の額は、右金額から四割を減じた二四一二万七七四五円(円未満切捨て)と認めるべきである。
(三) 弁護士費用
被控訴人有が弁護士である本件訴訟代理人らに対して本件訴訟の提起、追行を委任し、相当額の弁護士費用を負担する旨約したことは記録上明らかなところ、以上認定の損害額、本件訴訟の難易等の諸事情を総合すると、控訴人に負担させるのを相当とする本件不法行為と因果関係のある弁護士費用の額は、三〇〇万円が相当であると認められる。
2 被控訴人保男、同光子
同被控訴人らは、被控訴人有の被った難聴の後遺症につき、父母として固有の慰謝料及び弁護士費用を請求するところ、確かに子である被控訴人有の難聴の程度が著しく、これについての両親の心労、苦痛等が大きいものであることは察せられるものの、本件不法行為の態様を含む前認定の諸般の事情をも考慮するときは、本件では未だ子の生命を奪われた場合に匹敵し又はこれに著しく劣らない程度の精神上の苦痛を被ったということまではできないのであり、被控訴人有について右1のとおり損害の賠償を認めるほか、これとは別に父母に対して固有の損害の発生を認めるには足りないというべきである。
よって、被控訴人保男及び同光子の損害賠償請求はいずれも失当である。
六 叙上のとおり、被控訴人らの本訴請求は、被控訴人有において三二一二万七七四五円及びこれに対する本件不法行為後である昭和五三年九月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の同被控訴人の請求並びに被控訴人保男及び同光子の各請求はいずれも理由がないから失当として棄却すべきところ、これと一部結論を異にする原判決を控訴人の本件控訴に基づき右のとおり変更し(但し、原判決主文4項の仮執行の宣言は、本判決主文一、1項の範囲内で維持される。)、被控訴人らの附帯控訴はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条に従い、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 友納治夫 裁判官 榎下義康 裁判官 山口茂一は転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 友納治夫)